ぽえりぃのうつ病日記

うつ病闘病中、ぽえりぃです。今年で30歳になります。2016年5月から休職し、その後、退職しました。今は実家で自宅療養中です。

【メモ】働き方

これからの働き方を模索中である。うつ病は自分の今までを否定し続けて発症する病だ。(実際に今迄自分のことを好きになったことがない。いまは自分を愛おしむようにしている)その分、自分の人生をかけて、治療していかなければならない。


そこで考えていた、こんな自分に合うこれからの道筋があるのかどうか。


妹がある一人の友達の例を話してくれた。


妹の友達には夢があり、そのために、お金が必要になったため、一年間働いてお金を貯め、会社を辞めてから、自分の夢の実現のため、各地を転々として、自分の夢に関する生身の情報を受信しているのだ、と。なんだか回りくどい言い方になったが、つまり現場にとりあえず行ってみて、夢に関することをとにかくなんでもやってみている状態なのだという。


「ひとつの居場所でずっと働いて安定した収入を得る」


ことが全てではないのだ、と知った。彼女のように、ノマドのような生き方もあるのだ、と。周りからは、フラフラしている奴と思われるかもしれないが、夢のために働いてお金を稼いで、ある程度貯まったら、辞めて、夢を追いかける。そういう「遊動民」的な生き方ができる。そういう生き方でもいいのだ、と思っている。自分の夢のためなら、仕事も頑張れる気がする。


とりあえず、遊動的にいろいろなところを転々と移動しながら生きていく、という「型にはまらない生き方」を知ることが出来たので、ここにメモを付す。


さぁて、これから、どうしていこうか。ちょっとだけワクワクしている。

精神疾患について学んで欲しい

精神疾患を患ったことのない人は、「性格の問題」と受け取りやすい。そうではなくて、脳の「病気」です。うつ病だと「怠け者」とか「何を考えているのか分からないやつ」とか「暗い人間」とか、病気なのにその人の性質だと思われてしまう。うつ病とカミングアウトされた人はもっと知って欲しい。何度も言うけれど、「性格」じゃなくて「病気」なんです。


何も出来ない

何も出来ない。したいことが無くなった。希望・夢が打ち砕かれた。わたしは夢見る夢子ちゃんなのか?夢を見ることは悪いことなのか。夢より生きていくこと、金を稼ぐことが大事なのか。言わずもがな、後者が正しい。金がないと生きていけない。いつまでも親に甘えてなんていられない。そういう年齢になったのだ。30歳の重さ。


働きたくない訳ではない。むしろ働きたい。でも、それよりも、やりたいことが「いま」はある。それだけなのだ。「いま」やりたいのだ。働いて、思考することなど出来ない状態で、自分の脳ミソが麻痺するのが「嫌」なのだ。


ここで苦笑する。「嫌」だ、なんて子どもが言うことだ。わたしは大人にも社会人にもならない「子ども」のままで「いま」を生きているのだ。だから誰にも必要とされない。ただその辺を逍遥し続けるだけの何の意味もなさない、日本神話で言うところこ「ヒルコ」の様な存在なのかもしれない。「ヒルコ」とはイザナギとイザナミが国生みの際に、初めて生まれた子どもである。が、それはヒルのようにぐにゃぐにゃしていて、形を成していなかったので、イザナギとイザナミはその「ヒルコ」を棄てるのだ。棄民(神であるがあえてこう書く)である「ヒルコ」はどこへ行く。棄民はどこへ行ったらいい?行く場所がなく彷徨う。逍遥、逍遥。


夢、現実、社会、夢、現実、社会…

胡蝶の夢…

わたしは今迄ずっと夢と現実の「あわい」に、夢と現実が混じり合った混沌とした「場所」にいたのだ。


「アダルトチルドレン」「厨二病」「怠け者」「ピーターパンシンドローム」「青二才」「棄民」…


現実に生きる「正当な大人」たちからは、たくさんの「烙印」を付されるだろう。その烙印は、名付けされた私の「名前」だ。どう呼ばれようとそれは真実、私の名なのだ。


夢と現実の「あわい」で生きてはゆけないものだろうか。出来るのならば、どんな「烙印」でもそれを自分の名として受け入れよう。しかし、それが出来ないのならば、夢に生きて、夢によって殺される方がまだいい。

思わぬ落とし穴

私学の教員をうつ病のため辞めました。そこで、私学共済の傷病手当金を受け取ることができるとのことだったので、毎月申し込んでいたのですが…そこには思わぬ落とし穴が…


まず、書類の書き方が明確に記されていなかったので、直接、私学共済事業団の方に電話。そこでいろいろとレクチャーを受けました。


が!なんとそこで教わった書類の書き方が間違っていて、書いた書類が返ってきました。そこで、また電話をし、再度書類の書き方を教わり、書類を送ったのですが… な、なんと!また返ってきました。記入漏れがある、と。そこは記入しなくとも良いと言われたので、記入していなかったのですが。人によって、傷病手当金の申請について把握していることが異なっているようです。


もう12月になったというのに、そんなこんなで、まだ9月分の傷病手当金しか受け取れていません。困った……


ただでさえ、お金がなく、それが焦りとなって、不安感に陥るのとが多いというのに…そもそもうつ病患者にとって、書類を正確に書き、それを毎月決まった期間に送るのも辛いと言うのに… というか、こちらは正確に記入しているのに、こう何度も返還される。また落ち込んでしまいました。。私学共済事業団に、電話する元気も出ない… でもお金がないと困るので、また書類を送らないと…


ちょっと混乱しています。確かに、お金を援助していただけるということなので、ちゃんとした書類を提出しないといけないのは分かりますが… こちらのミスではないのになぁ…と落ち込んでしまいます。はぁ……憂鬱。

30歳という節目の年を迎えて

12月12日。わたしの誕生日です。30歳になりました。


生まれて初めて、「おめでとう」と言われるよりも、「ありがとう!」と周囲にいる大切な人に言いたくなりました。


それまでは、誕生日と言われてもどこかピンと来ないところがあったりとか、「おめでとう」って誰が言ってくれるか、なんてことを気にしていたのです。


わたしの近くにいる人、大切な友達、先生、家族、親族…みんなに「ありがとう」とこころを込めて言いたいです。


うつ病を患ったから、そして皆様のお世話になったから、「ありがとう」と言いたくなったのかもしれません。それを思うと、うつ病を経験して良かったのかな、と少しだけ思います。人生、すごくツライことを経験していないと分からないこともあるものなのだなぁ、と。うつ病になる前の自分は、どこか自分勝手で皮肉屋な面があったから。今はだいぶ柔らかい性格になったと思います。


ドン底にいるからこそ、彩られるものがある。


いまそう思っています。そして、これから先、このドン底の経験で得たいろんな色が自分を成長させてくれるのだろうな、とも。


30歳、いいですね。これからが楽しみになってきました。そう思えることもうれしい。


30歳になって初めて自分のために誕生日プレゼントを買いました。



↑Amazonで購入。自分のために自分で書きました笑



↑買ったものは「毛玉取り機」笑

新しく洋服を買うよりも毛玉をちゃんと取ってあげて、大切に洋服を着たいと思ったからです。それで、これ、むちゃくちゃよく毛玉が取れます笑 キレイになった洋服を見て大満足。



↑そして妹には原宿のクレープを貰いました。 滅多に食べないクレープ。ホイップクリームがたっぷりであまーくて幸せな気持ちになりました。妹にも「ありがとう」をたくさん言いました。


今日は「ありがとうの日」。