ぽえりぃのうつ病日記

うつ病闘病中、ぽえりぃです。今年で30歳になります。2016年5月から休職し、その後、退職しました。今は実家で自宅療養中です。

自分の心の器を大きくしたい

自分自身、器が小ちゃな人間だと思う。中学までは違った気がする。周りの人々が良い人たちだったからというのもあるけれど、自然とどんな人でも受け入れることが出来た。


高校から1人で暮らすようになって、「この人は自分にとって、良い人か悪い人か」なんてことを考えながら、目の前にいる人を選別して生きてきた。そんなことをしていれば、相手に不信感を与えてしまうのは当然だと思う。


大学を卒業し、仕事をするようになってから、ますます人を疑ってみるようになってしまった。自然と「この人は自分にとって良い人。この人は悪影響を与えて来る人」と二つに分けて、関わってくる人を拒絶するようになった。(心の中で)それで良いのだと思っていた。


でも、最近はこう考える。関わりがある人というのは、何かの縁があって私の前に現れた人、だということ。それが良い人でも悪い人でも。というか、そもそも悪い人間なんていないんだな

きっと。その人の嫌な部分がたまたま見えてしまっただけなのだなと思う。


自分にとって嫌な人でも、きっと何か意味が存在して、わたしの前に現れてくれた人なのだろう。そんなことを考えていました。


母親も妹も、特に濃い縁があって家族になったんだなぁ。でもだからって、嫌なこと言われたら嫌だし、それはそれで無理に「家族だから受け入れなきゃ!」なんて思わなくてもいい。ただ、そこで思い悩み過ぎずいかに心のドロドロした気持ちの切り替えを行うか、ということなのかな。


シンプルに目の前の良いこと・悪いことを受け入れて、生きたいなぁ、と。2017年の目標にしよう。

逆戻り

また何もする気力が起こらない状態になってしまった。いろいろ勉強したり、読みたい本とかあったのにな。症状が逆戻り。東京で会いたいと思っていた友達とも会えない心境だ。会いたかったのに。美容院にも行きたかったのに。


母親のエゴのために、わたしは掃除を頑張った。母にすれば、一般的な人たちからすれば、「普通のこと」。母はわたしの部屋がきれいになったのを見て、えらくご満悦な様子だ。これでしばらくは被害を被ることもないだろう。


しかし、病状が悪化したのがはっきり分かる。「何もしたくない」。甘えなのか?


母の鼻歌が耳に障る。


「自分のしたいことだけして」「自分を愛おしむ」努力をしてきたが、今は空虚感しかない。


何もないし、何も考えられない。


空っぽ。


何もない。

分かってくれない 死にたい

死にたい


でも、自分の勝手で死ぬと、周りの人を悲しませることになるから死なない。


死なないけど、社会に適合できないと生きている価値もないような言い方をする、母親、医者がいる。社会に適合できやつは死んだ方がいいのかもしれないと思わせるような母親と医者。


実家での母親との口論。
昼夜逆転を治せ、と。解ってるよ。そのために努力してるよ。でも、朝しんどいんだよ。
今までずっと朝は得意でちゃんと起きてたよ。でも「職場に行かないといけない不安感」が残ってるのかしれないけど、不安感がものすごくあってしんどいんだよ。
「もう半年もそうしてるじゃない」違う。ちゃんと起きて、朝から出来ることはあった。ただ、いま、冬の寒さのせいもあるかもしれないけど、不安感と共に辛くて起きれないんだよ。どうしても昼夜逆転になっちゃうんだよ。努力してるよ。治したいよ、病気。
なのに、何でそう責めるの?朝起きて、夜にちゃんと寝て、それが出来ない人はそれが出来ない人の「行き場所」はどこにあるの?どこにもないの?だったら、死ぬしかないじゃない。


「誰の家だと思ってるんだよ、自分勝手にふるまうな、周りを巻き込むな」
そう母は言った。私は高校と大学と独り暮らしで、その間家族との連絡を全くしていなかった。実家に帰っても、母とも妹とも父とも何を話していいかわからないぐらいに、家族に馴染めなかった。うち病を発症してから、最初は皆、甘やかしてくれた。
「~しなければならない」とずっと思いつづけてしまっていた自分を変えようとして、「自分の気が向くこと、自分がしたいことだけ過ごすこと」を意識して、なるべく早くうつ病を直そうとした。


母は家が汚いと、ストレスを抱えてしまう、うつ病だ。
私の部屋が汚いままだと、ストレスを感じて、うつ病が悪化してきていると私に言う。


実家を出たい。


明らかに別の症状を患っているものとして、母親と私は相いれないものがある。
就職して、お金貯めて、実家から出る。自分のストレスになるものは極力避けたい。


結婚したい。
そうしたら、実家から離れられる。


実家に居過ぎたのだ、実家を出るべき時が来たのだ。


今まで甘やかしてもらった分、申し訳ないけれど、相容れない人、それが例え家族でも、そういう人からは離れるのが督促だ、


そうしないと、死んでしまう、死にたくなってしまう。


誰か助けて。私は受け入れてくれる人、助けて。
こんなことを言っていると、母親にまた「甘えてる」と言われるだろうが、社会に適合できない自分が確かに存在していることが現実だ。死なないために、いろいろ考えたい。


とりあえずは、今は母親から離れたい。
死にたくなるから。

歌で逢いましょう

要らないものを捨てようとして、機器類の整理をしていたら出てきた、10年前に使用していたウォークマン。当時iPodが出たばかりで周りはそれを使用していたけど、私はピンクで丸っこいSONYの「WALKMAN」を買ったのだった。


10年ぶりの再会。まだ使えるのか試しに充電してみたら使用できた!


充電完了後、恐る恐るWALKMANを起動。10年前によく聴いていた音楽たちがそこには居た。


「歌」はそれをよく聴いていた頃の自分との再会を果たすことを可能にするタイムマシーンみたいなところがある。私は10年前の私と再会した。「歌」で逢えた10年前の私。今と全く違う存在だと思っていたけど、確かに「いま・ここ」に居る私は、10年前の「私」から脈々と色々な経験を積み重ねて存在しているのだと分かった。


社会に出て、暗い話にばかりやたら詳しくなり、うつ病を患ってしまった私だが、私の中を流れる血には10年前の私の生身の血が確実に大きな存在感を持って流れていたのだ。感動した。


友達らしきヒト、彼氏らしきヒトもいて、何も知らず、のほほんと過ごしていた10年前の私。時々少しは心から楽しいと思える時間があった10年前の私との再会は、いまの私にとって良い薬となった。


ただこのWALKMAN、かなりガタがきてるので、特に思い出深い曲をチェックしとかねば。そして、CDを買おう。手元に置いておきたいのだ。すっかり忘てしまっていた10年前の自分と、また再会するために。「歌で逢いましょう」また、ね。


次は大好きな思い出たっぷりの中学時代の「私」、大好きな中学時代の友人に出逢うために、MDを探って歌を聴こうと思っている。





「歌で逢いましょう」

空振りの日

風邪ひいた。寒気して、喉が痛くて。生姜、蜂蜜、柚子果汁を混ぜてお湯で割って飲んだ。何もする気にならない。クラクラして二回ぐらい転んだ。ちょっとおかしい。


気のおけない大好きな友達に電話してみる。1時間半ぐらいお話できた。安心して本音で話して、大笑いしたりなんかして、電話を切った。曇っていた気持ちが晴れていった。


コンビニに出掛けて、食べやすいゼリーを買う。食欲もない。暖かい昼だった。汗をびっしょりかいた。


今日は大学の授業の日。風邪で行けなさそうだなぁ…化粧したくない。着替えるのめんどくさい。でも、行こう!と思えたから、準備した。急いで準備してたら、また転ぶ。なんか調子がおかしい。でも行ってみようと思って、着の身着のまま大学に出掛けた。BBクリームをさっとぬって、紅をひく。


いつもは各停でゆっくりいくのだけど、急行に乗って、授業に間に合うように少しだけ急いだ。


大学には始業10分前に着いた。教室に向かう。電気がついてる。足早に向かう。すると…なんと、そこには誰もいなかった。休講だった。。がっくり。。せめて、師匠の研究室に顔を見せてみるかと思って、向かった。三回ノックする。中で師匠が何かしている音が聞こえる。しかし、無言。またノックする。ドアノブに手をかける。ガチッ。。鍵がかかっていた。師匠の鼻歌が聞こえる。そこで自分の名を名乗れば、出てくれたかもしれないが、卒論提出前の忙しい時期。諦めて、外に出た。


なんだか家に帰りたくない。久しぶりの外出だし、家で洗い物も片付けもせず出てきたので、母親に会いたくなかった。会ったらきっと、怒られると思った。


ふと思いついて、大好きな故郷、タイの料理をたべてみようと思い、新大久保に向かう。


パッタイ(タイ焼きそば)を頼む。独特の甘い味、酸味が懐かしい。たまには、いいか。一人で贅沢しても。「タイ」はわたしに元気をくれる。風邪のせいかちょっとぼーっとはするけれど、満足。


タイ…大好きだ。還りたい。