ぽえりぃのうつ病日記

うつ病闘病中、ぽえりぃです。今年で30歳になります。2016年5月から休職し、その後、退職しました。今は実家で自宅療養中です。

何も出来ない

何も出来ない。したいことが無くなった。希望・夢が打ち砕かれた。わたしは夢見る夢子ちゃんなのか?夢を見ることは悪いことなのか。夢より生きていくこと、金を稼ぐことが大事なのか。言わずもがな、後者が正しい。金がないと生きていけない。いつまでも親に甘えてなんていられない。そういう年齢になったのだ。30歳の重さ。


働きたくない訳ではない。むしろ働きたい。でも、それよりも、やりたいことが「いま」はある。それだけなのだ。「いま」やりたいのだ。働いて、思考することなど出来ない状態で、自分の脳ミソが麻痺するのが「嫌」なのだ。


ここで苦笑する。「嫌」だ、なんて子どもが言うことだ。わたしは大人にも社会人にもならない「子ども」のままで「いま」を生きているのだ。だから誰にも必要とされない。ただその辺を逍遥し続けるだけの何の意味もなさない、日本神話で言うところこ「ヒルコ」の様な存在なのかもしれない。「ヒルコ」とはイザナギとイザナミが国生みの際に、初めて生まれた子どもである。が、それはヒルのようにぐにゃぐにゃしていて、形を成していなかったので、イザナギとイザナミはその「ヒルコ」を棄てるのだ。棄民(神であるがあえてこう書く)である「ヒルコ」はどこへ行く。棄民はどこへ行ったらいい?行く場所がなく彷徨う。逍遥、逍遥。


夢、現実、社会、夢、現実、社会…

胡蝶の夢…

わたしは今迄ずっと夢と現実の「あわい」に、夢と現実が混じり合った混沌とした「場所」にいたのだ。


「アダルトチルドレン」「厨二病」「怠け者」「ピーターパンシンドローム」「青二才」「棄民」…


現実に生きる「正当な大人」たちからは、たくさんの「烙印」を付されるだろう。その烙印は、名付けされた私の「名前」だ。どう呼ばれようとそれは真実、私の名なのだ。


夢と現実の「あわい」で生きてはゆけないものだろうか。出来るのならば、どんな「烙印」でもそれを自分の名として受け入れよう。しかし、それが出来ないのならば、夢に生きて、夢によって殺される方がまだいい。

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